人気漫画の「忍者ハットリくん」や「怪物くん」などで知られる漫画家の藤子不二雄Ⓐ、本名・安孫子素雄)さんが7日、神奈川県川崎市内の自宅で亡くなっているのが見つかりました。88歳でした。
1934年に富山県氷見市で生まれ、富山県高岡市に引っ越した小学校5年の時、「ドラえもん」で有名になる藤本弘さん(藤子・F・不二雄、96年に死去)に出会いました。それ以来、二人で漫画を描き始めました。
「毎日小学生新聞」に51年から連載された「天使の玉ちゃん」でデビューします。高校卒業後に二人で上京。「おそ松くん」などで知られる赤塚不二夫さんらも住んだ「トキワ荘」で本格的に活動を始めます。
64年連載開始の「オバケのQ太郎」がテレビアニメになって大ヒットし、その後に「忍者ハットリくん」「怪物くん」などが次々とアニメ化されました。藤本さんの作品は「ドラえもん」など明るい作品が多く、安孫子さんは人間の心の弱い部分を描くような作風でした。87年にそれぞれやりたいことをやろうとコンビを解消します。
安孫子さんは2005年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、08年に旭日小綬章を受章しました。
「絵がうまいのう」をきっかけに
安孫子さんは小学5年生の時、富山県高岡市の小学校で、後にコンビを組む藤本弘さんと出会います。一人でノートに絵を描いていた安孫子さんに、藤本さんが「おまえ、絵がうまいのう」と声をかけたのです。安孫子さんは2011年のインタビューで「本来ならお寺を継ぐはずでした。この出会いがなかったら、二人ともマンガ家になっていませんでした」と答えています。
中学1年生の時に「漫画の神様」といわれる手塚治虫さんの冒険漫画「新宝島」を読み、衝撃を受けました。手塚さんは毎日小学生新聞でデビュー作の四コマ漫画「マアチャンの日記帳」を連載していました。二人は「先生の次は僕らだ」と漫画を毎小に送り続けました。高校在学中の1951年に「天使の玉ちゃん」が毎小に載ってデビューを果たしました。
2018年に毎小の「あの人に会った」に登場し、子どもの質問に答えています。読者に向けて「毎日学校行ったり、勉強したりすることをつらいと思わずに、楽しくやるとおもしろくなるから前向きに考えた方がいいと思うな」とメッセージを送りました。